« マルエツにギャルが。 | メイン | 【日曜のマルエツ】 »
2005年09月09日
【ギャルとの会談】
先日ギャルにチューハイを奢らせてもらう約束をした私ですが、来週の木曜日はどうも都合が合う保障がないので急遽、今夜と言う事にしてもらいました。強引に呼び出した感がなかなかありましたが、向こうも承諾してくれたので良しとしました。ギャルは彼氏持ちですし、私も幸いな事に彼女を持っていますのでお互い余計な心配はいらず、ある種腹を割って話すことが出来ました。酒を飲みながらプライベートな話や、マルエツでの話し、学校での話しなど色々と発展しましたが、一番気に掛かったのはギャルのバイトをやめてからの事でした。それについてグダグダと会談をしましたが、色々な決心を決めていたギャルに何を言っても影響はないと思いましたが、あえて親身になって返事をしていました。向こうは私に対する印象と実際とのギャップに驚いていたようですが、それは私も同じでした。人を見た目で判断するほど損な事はないと実感しました。
プライベートな話題について深く話が進んだのですが、ここで取り上げるにはあまりにも不謹慎であるし、取り上げるべきでないと判断するので、そういった核心に迫るような話題があったその存在だけは記しておきたいと思います。ギャルには改めて御礼と、お疲れ様を送りたいところであります。
今日の会談の中でちょくちょく気になっていた事の中に、「人はどういった時に寂しさを感じ、どのようにそれを解消するか。」と言うものがありました。一口に寂しさと言っても、恋人に会えない寂しさ、周囲に置いていかれる寂しさ、孤独に対する寂しさ等様々ありますが、ここで話題になっていたのはそう言った具体的な原因があるものではなく、ふとした瞬間におとずれる寂しさがほとんどであったと思います。何かに熱中している間は、余計な事を考えずに済んだり、時間を潰せたりしてその間は自分にとって有意義である事はほぼ間違いないと思われます。しかし、そう言った熱中できるものを失った時の喪失感と言うか、それこそ寂しさにどう立ち向かえば良いかと言う事にお互い焦点があったようです。私は以前、彼女にしか熱くなれるものがなく、いざ彼女が居なくなってみると自分に何も残らない事を悟らされたことがありました。なので、何かを失っても少しでも自分の財産として蓄積出来ることを持っておくべきであろうとうったえました。今日の流れでは、ギャルが彼氏を失った時の事を大きく想定しすぎていた節がありましたが、それほど今のギャルにとって彼氏の存在が大きいものであり、それ以外のものに対する執着心や熱心度が比較的希薄に感じられたものだと思っていただきたい。
実際人が「ものけのから」状態に陥ったときどうなるのでしょうか。私の場合はどうにもならなかったと言ってしまえばそれまでですが、あの喪失感と言い、胸にぼっこりデカい穴が開いたような苦しい心境は確実に忘れがたい記憶として深く刻まれています。このことは彼女と言う存在に限らず、今自分がもっとも熱心に打ち込んでいるものを失った時も同様だと思うのです。かと言って、大切なものを失った時に開き直って取り組めるものを用意しておくべきだ。とは間違っても言いたくありません。そういったものを既に持っていたとしても、大きなものを失えばそれはそれで苦しく、悲しいのには変わりはない訳ですから。
これらの考えを踏まえるならば、やはりそういった寂しさは単に乗り越えるしかない。と言う単純な答えになってしまうのかも知れませんが、自分の財産となるような、生涯研究し続けられるような趣味等を持っていたほうが良いに越したことはないと思いました。結果的にそれが立ち直りを促進させたりすれば尚良しな訳ですから。
結局「立ち直り促進法」をダベる形になってしまいましたが、どんな状況下であろうとも、消滅し得る可能性が低い趣味や生きがいを持っていた方が生涯多き人生を乗り越える活力として、大きな効力を発揮するのだと思います。
相変わらずまとまりもなく、焦点がブレる筆者ではありますがご愛読いただきありがとうございます。私的で自己満足以外の何ものでもありませんが、文を書くという半ば日課となった行為を大切にしていきたいと思います。少しでも皆さんに共感していただけるような文を書けるように修行を積みたいですね。
投稿者 zank : 2005年09月09日 23:25